突撃!所長金塚 公益財団法人 日本財団 公益事業部 シニアオフィサー 竹村 利道さん

広報誌「熱人」54号掲載(2023年11月発行)

「就労支援フォーラムNIPPON」でお馴染みの日本財団さん。フォーラムを手掛ける竹村さんは、高知での就労支援の実績を買われ、8年前に入職。歯に衣着せぬ発言と、誰に対しても忖度しない姿勢で、障害者就労における数々の停滞を打ち破ってこられました。
実は高知におられた時代から竹村さんをよく知っているという所長金塚。同い年ということもあり、その機動力からいつも多大な刺激をいただいているそうです。定年を目前に、すでに次の構想も形になってきているとのこと。終始エキサイティングな突撃インタビューとなりました。

そもそもなぜ、
こんなに工賃が低いのか?

そもそもなぜ、こんなに工賃が低いのか?

金塚:現在の役割、お仕事内容を教えて下さい。

竹村:障害者就労支援です。それしか能がない。具体的には福祉的就労から一般就労への支援です。当財団への助成申請で一番多いのは、障害者就労関連です。私が入職する前は、10月に毎年約1千件の申請が届く中で、3割を占めていました。

金塚:竹村さんが入職されたのは?

竹村:2015年です。私が入職する前の10年間で、約2千件の障害者就労関連の助成をおこなっていました。なぜそんなに増えていたのかというと、自立支援法の中で障害者就労支援の制度が打ち出されたからです。私が来てからは、障害者就労関連の申請は減りました。減らした、と言ほうが正しいかもしれません。成果の上がらない助成申請ばかりだったからです。

金塚:例えば?

竹村:就労継続支援B型事業所(※以下、B型)からの申請で「今は月額1万数千円の工賃だが2万円に上げたい。そのためにパンを焼くオーブンを導入したいので、1千万円を助成してほしい」というような申請がたくさんありました。しかし結果としては、成果が上がらない助成申請ばかりでした。

金塚:竹村さんは日本財団に入職する前は、高知で障害者就労支援に取り組んでおられました。

竹村:NPO法人と有限会社を手掛けていました。そこで曲がりなりにも面白いことをやっていたので、「3年間の約束で日本財団に来てもらえないか」と声を掛けられました。入職してからは、こうした助成申請を一つひとつ分析していきました。先ほどもお伝えしたように、助成はしたものの成果が伴っていないケースが多数見受けられました。当初はそこを改善していくための役割を担っていました。

金塚:入職当初の竹村さんは、B型の工賃を上げるために、各地でさまざまな面白い取り組みをされていたことを覚えています。

竹村:私が入職する前の日本財団は、現場のことがわかっていなかった。つまり、「月額1万数千円の工賃を2万円にしたい」という思いに賛同して助成していたにも関わらず、「なぜ工賃がこんなに低いのか?」という点はピンときていなかったのです。

金塚:たしかに現場を知らなければ、「工賃が低いから助成を」となるかもしれません。

竹村:「B型はわずかな売上のみで、職員は爪に火を灯すように一生懸命がんばっている。かわいそうだ」という思い込みがあったようです。私は「B型の事業所は、障害者一人あたり月額15万円を国からもらっている。その上で当事者には月額1万円数千円の工賃しか渡していない」ということを伝え、「そもそもそこが問題だと思いませんか?」と提起しました。

金塚:たしかに。

竹村:月額1万数千円しか障害当事者はもらっていないのに、10~15倍のコストが社会的にはかかっている。到底生活できない額の工賃ですから、年金と生活保護が加わる。そして医療依存になり、介護保険の費用も発生する。これだけコストがかかっているのに、当事者のQOLの向上にはつながっていない。

「ちょうだい」ではなく
価値を売りシェイクハンド

「ちょうだい」ではなく価値を売りシェイクハンド

金塚:つまりB型の工賃を上げるためには、ただ助成をするのではなく、結果を求めるような取り組みが必要だと。

竹村:はい。一例を上げると、佐賀県伊万里市で漬物を作っている施設を訪問したところ、当時の売上は年間20万円でした。そこで20名の利用者が作業している。工賃は月額5千円。理事長が「なんとかしたい」と言うので、「それなら漬物を食べてもらうためにご飯を提供してはどうか?」と提案しました。商店街の中にあった古民家を洒落た佇まいに改装してかまどを作り、資金を助成しました。覇気なく漬物を作っていた利用者が、たどたどしいながらもレジに立つようになり、工賃は月額8万円になりました。

金塚:5千円が8万円に!

竹村:障害者はなぜか、「施設というところで軽作業をする人」と思われていた。そして施設は郊外にあるのが一般的ですが、あるA型の事業所には、原宿で花屋を開業する資金を助成しました。他にも「分身ロボットカフェ」など、モデル事業として32の事業を立ち上げました。

金塚:「分身ロボットカフェ」とは?

竹村:私の手掛ける事業に対して「働けそうな障害者ばかりを支援している」という声があり、「寝たきりの方でも働ける」ということを証明するためにオープンしたカフェです。外出困難者である従業員が分身ロボットを遠隔操作しサービスを提供しており、東京の日本橋に常設店があります。

金塚:そういった面白い発想や企画力を、日本財団に来る前から持ち合わせておられましたよね。

竹村:高知でも街中で障害者が働くカフェをオープンするなど、さまざまな取り組みをしてきました。世間一般ではなぜか、「施設のカフェ=ふれあいの場」のように、カフェの価値自体をウリにしないことが多い。手のひらを上に向けて「ちょうだい」という差し出し方をするのではなく、シェイクハンドで一緒に仕事をしませんか?というのが私の考え方です。

金塚:価値を売れば「ちょうだい」にはならない。

竹村:別の施設ではどら焼きを作っているのですが、企業と連携すれば一日に3千個を売るビジネスチャンスが生まれます。店の雰囲気がちゃんとしていれば、お客さんは来てくれます。後から「精神障害者が働く店なんだ」とわかることは、スパイスになります。反対に店や商品自体をウリにせずに、「精神障害者が働く店がオープン」という触れ込みであれば、お客さんの足は遠のいてしまいます。

金塚:そういう視点が生まれた原点は?

竹村:高知の公的機関で福祉に携わっている時に、「こんなことをしているから、障害者が就職できない」という事例を目の当たりにしてきました。例えば、福祉施設で販売しているクッキー。味はいいのに包装が下手だから売れない。「恰好から入るな」と言う人もいますが、恰好は大事です。カフェでも100均の器は絶対に使いません。全国の窯元を訪ね歩きました。ケーキ工房を立ち上げる際も、全国の有名店を全部回りました。

金塚:有名店を回って学んだことは?

竹村:実はダメな店舗のほうが勉強になるんですよ。「なんでダメなのか」がわかりやすい。それを全部やらないようにすればいい。結論として「ちゃんとした店でちゃんとした恰好で客前に立てば、障害があって少々たどたどしい接客であってもお客さんは来る」ということがわかりました。

10年目を迎える
「就労支援フォーラムNIPPON」

10年目を迎える「就労支援フォーラムNIPPON」

金塚:竹村さんは医療従事者からキャリアをスタートされたと聞いています。

竹村:大学を卒業して最初に就職した先は病院です。ソーシャルワーカーとして働きました。昭和62年当時、ソーシャルワーカーは国家資格ではありませんでした。周りを見渡せば「患者さんのお小遣い管理」「生活保護の申請」が実質的な仕事だった時代です。しかし私が就職した総合病院は、すでに7~8名のソーシャルワーカーが在籍し、医師とのカンファレンスに参加して、退院後の計画や環境調整などをおこなっていました。

金塚:そこで学んだことは?

竹村:共に働いたソーシャルワーカーは、目の前にいる「介助を必要とする人」を支えることで、「社会全体の課題を解決しよう」とする人たちでした。病院の売上にはならずとも、それが自分たちの矜持であると。

金塚:その後、市の障害者福祉センターで勤務されています。

竹村:寛解して病院から退院された方が、3ヶ月ほどするとさらに悪化して戻って来る。つまり、病院がどれだけ良い環境だったとしても、暮らす地域に問題があれば、院内での治療は無駄になる。そう気付いて退職しました。「社会全体の課題を解決する」という視点があったからこその決断でした。

金塚:最初に働く環境って、すごく大切ですよね。お小遣い管理が仕事であったなら、そう気付くこともなかった。

竹村:はい。地域に出て痛感したのは、「退院した人が地域に出る場所がない」ということ。平成になったばかりの頃、障害者を取り巻く地域の環境は、憐みの視点しかありませんでした。

金塚:そういった経験が、自身でNPO法人と有限会社を設立し、就労支援に取り組むという歩みにつながっています。

竹村:私自身が日本財団から助成を受け、売上を伸ばし工賃をアップすることができた。日本財団に入職した当初、B型の工賃アップに尽力した理由もそこにあります。しかし、障害者就労支援はそれだけで成り立っているわけではない。その頃、就労支援移行支援事業所を名乗りながら、就職者を一人も出したことない事業所が全体の約45%もありました。そういった事業所に携わる人たちの意識改革をしなければならない。そう考えて「就労支援フォーラムNIPPON」を毎年開催しています。

金塚:「就労支援フォーラムNIPPON」は今年で10年目。竹村さんが日本財団に入職する前、高知で行われた第一回目のフォーラムに【JSN】の職員が登壇しました。「すごい人数が集まっていた。2千名は来ていた」と報告を受け、「誰が旗振り役をしたのか?」と調べたら竹村さんでした。その成果もあり、日本財団に呼ばれたと。第二回目からは私も登壇させていただいています。

竹村:成果を上げていない就労移行支援事業所の意識改革のために、最先端で就労支援をおこなっている金塚さんに登壇していただきました。今年10回目を迎えますが、手応えよりも力不足を感じることばかりです。意識なんてそう簡単に変わるものではなく、くじけそうになることもあります。「勉強になりました」とは言われるけれど、具体的な行動変化につながっていないのではないかと・・・

金塚:竹村さんのところにまでは届いていないけれど、各地でつながりが生まれ、変化が出てきていると思います。

竹村:そう信じたいですね。一つひとつの事例は「点」でしかない。「面」として変えていきたい。今年は10回目の総決算。次年度以降は障害者就労だけでなく、「ワークダイバーシティー」への取り組みと合わせて、多様な就労困難者の就労支援をテーマにしていこうかと考えているところです。

国から受注した業務を
福祉施設等に発注

国から受注した業務を福祉施設等に発注

金塚:ところで竹村さんは私と同い年。通常であれば、今年度末で定年を迎える年齢です。

竹村:定年後は関連法人を新しく立ち上げる予定です。そのためにも今、国立国会図書館の蔵書のデジタル化業務を、障害者施設に委託する事業の拡大に取り組んでいます。

金塚:詳しく教えて下さい。

竹村:そもそものところからご説明しますと、福祉的就労の低賃金の問題が国家財政を脅かしているという話を、永田町の議連に説明に行き、働きかけていました。その中である議員さんから、「国立国会図書館の蔵書のうち、約5%しかまだデジタル化がされていない。予算を組むから、福祉施設に業務を発注してみてはどうか?」とお話をいただきました。当時は民間企業3社が業務を独占しており、日本財団が加わろうとしても相手にされませんでした。最初に国立国会図書館に挨拶に行った際も、話を聞いてもらえませんでした。

金塚:どう突破していかれたのですか?

竹村:完全にステレオタイプの障害者施設の働き方を、イメージされていたのだと思います。私の強みは、A型でバリバリ働いている障害者の方や、就労移行支援事業所で訓練を受けている能力の高い障害者を、数多く見てきたことです。実際のデジタル化の業務を見た時に、「これならできる」と思いました。そして3年前、多くの人の働きかけによって、日本財団のような法人が福祉施設等に業務を斡旋する際の政令が改正されました。それにより当法人が受発注センターを設置し、国から受注した約3兆円のデジタル化業務を、福祉施設や特例子会社に斡旋できるようになりました。

金塚:ネックとなっていた政令が改正された。

竹村:実はもう一つ問題がありました。年間40億円ほどの業務を、日本財団を含め一般企業4社で取りにいくわけです。どんなに頑張っても4位で2億円分ほどしか取れない。原因を分析をしたところ、改正された政令の中に“ある一文”があれば、福祉施設が一般競争入札ではなく随意契約で、多くの業務を取ってくることができることがわかりました。「障害者の就労支援になる」とあらゆるところに働きかけ、このたび“ある一文”を加えた政令が成立しました。これまでは全国8ヶ所に発注していましたが、100ヶ所くらいに拡大したいです。

金塚:障害者優先調達推進法の中で福祉サービスに対して斡旋する業務なので、他の一般企業は随意契約はできないわけですよね?

竹村:はい。今後は展開が変わってくると思います。

福祉的就労・一般就労の課題を
二つのセンターで解決

福祉的就労・一般就労の課題を二つのセンターで解決

金塚:他にはどのようなことを手掛けていきたいですか?

竹村:この政令改正は一つのブレイクスルーにはなりましたが、ある意味一つの事例でしかありません。国の業務の中で、障害者に発注できる可能性のある業務を分析したところ、60億円ほどありました。福祉的就労に対する出口、つまり解決策として、国の業務をさらに大きな予算規模で全国の特例子会社や福祉施設に斡旋したい。そのための受発注をおこなうセンターの設立を計画しています。「BPO(ビジネスプロセルアウトソーシング)ナショナルセンター」という仮称で、すでに走り始めています。別名、「工賃倍増センター」と呼んでいます。

金塚:先ほどお聞きした、「定年後には新法人を立ち上げる」という話にも興味があります。

竹村:財団の関連法人として、「就労支援ネットワークNIPPON」という名称で考えています。その中で一般就労のための「リスキリングセンター」を構築する計画があります。

金塚:リスキリング、つまり「戦力になるよう再トレーニングをして、企業に戻っていただく」ということですね。すると定年後の来年度以降は、日本財団から引き継いだ「BPOセンター」に加え、立ち上げた新法人で「リスキリングセンター」も手掛けると。忙しくなりそうですね。

竹村:「就労支援フォーラムNIPPON」も新法人で継続しておこないます。その他、企業内業務の開発や企業コンサルティングも考えています。それらによって、福祉的就労・一般就労の双方に対する課題を解決していきたい。今、その内諾を得つつある状況です。

金塚:改めてお聞きしたいのですが、竹村さんにとって障害者就労の世界は今、どのように見えていますか?

竹村:一言で言うと、いびつですね。本来、企業と従業員は対等な関係であるはず。しかし私が知る限り、極めて少数の例を除き、「障害者を戦力として欲しいから雇用している」という企業はありません。日本を代表するある企業の社長から、「法定雇用率の縛りがなければ、当社は障害者雇用はやらない」と、はっきり言われたことが忘れられません。

金塚:誰もが知る大企業ですよね。

竹村:一方で、障害当事者に対しても「努力しようよ」「社会のために役に立とうよ」と声を大にして言いたいです。雇用されるための権利を主張してきたことで、社会参加ができる時代になりました。それなのに、エッセンシャルワーカーとして特技を磨くという自己努力をしていない。また、自己努力を促すための就労支援ができていない就労移行支援事業所も、A・B型も大嫌いです。しかし、「嫌い」と言うだけで現状を変えていく努力をしないことが一番ダメ。そのために「就労支援フォーラムNIPPON」を通じて発信を続けていきたいですし、業務の斡旋を続けていくわけです。

公益財団法人 日本財団
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