突撃!事務局長金塚 一般社団法人 SPIS研究所 理事長 宇田 亮一さん
【JSN】が開発に携わった就労定着支援システム「SPIS(エスピス)」が誕生して早13年。当事者・企業担当者・外部支援者の三者がウェブ日報ツールの中で対話をし、体調の変化を見守る。
精神障害者者が「働き続ける」ためのツールとしてスタートしたSPISですが、今は新入社員の人材育成や、リワーク(復職)支援にも使われているそうです。
SPIS研究所理事長の宇田さんは、外部支援者として2012年からSPISに関わり、後進の育成にも力を尽くしておられます。ちょうどこの日は、外部支援者のための連続研修の初日。支援者が対人支援力を高めるための取り組みについても、詳しくお話を聞かせて下さいました。
SPISによって
対人支援力をみがく
金塚:宇田さんがSPIS研究所を立ち上げた経緯を教えて下さい。
宇田:SPISの生い立ちから話をさせて頂くと、(有)奥進システムがSPISという就労定着支援ツールを作り、それを企業の中で運用するに当たって「外部支援者」が必要になりました。それで、私に「手伝ってくれないか」という話が来たのですが、当時の私はサラリーマンを辞めた後、ようやくカウンセラー生活が落ち着き始めていた頃でした。
金塚:宇田さんの人生の転機に、SPISが現れたと。
宇田:そう、そうなんです。当時、私がカウンセラーとして感じていたことは、当事者はカウンセリングルームの中で一見、元気そうになっても、会社に戻ると元の木阿弥・・・また同じ悩みを繰り返す。「これって一体何だろう?」ということでした。ですからSPISという枠組みで、当事者と企業の担当者と外部支援者が3人でやり取りすることは、とても良いアイデアだと思いました。
金塚:実際にSPISで三者が対話することによって、どのような変化が見られるようになりましたか?
宇田:まず、当事者が会社生活の中で落ち着いてきました。そうすると企業の担当者も変化してくるんです。法定雇用率という枠組みを超えて、企業の担当者が当事者と真剣にやり取りをするようになる。それからもう一つ、外部支援者も最初は「当事者を支える」という視点で支援に入っているのですが、続けているうちに「こちらが当事者から学ぶ」という場面に出会うようになっていく。これはとても大事なことだな、と思いました。
金塚:今日の研修「対人支援力をみがくセミナー」でも、当事者から学ぶという話は繰り返し出てきました。
宇田:そこなんです。そこがほんとに大事。支援って、「お互いさま」というところに行き着いた時、はじめて本物になると思うんです。私がSPISに携わった当初、業務日報というものはすでに世の中に出回っていましたが、SPIS以前の日報は「会社の管理者が当事者から“会社が必要とする情報”を得るためのフォーマット」だったんです。だから、当事者は誰も本気で日報を書いていない。SPISでこの構図をひっくり返したいな、と思いました。
金塚:最初の質問に戻ると、その思いがSPIS研究所設立の原点となったのですね。
宇田:はい。2018年に立ち上げました。
金塚:現在、SPISを導入されている企業・団体はどれくらいの数ですか?
宇田:SPIS研究所のユーザーは35団体。企業が21社。福祉関係団体が14法人。利用している当事者の方は約100名です。このほかにも、NPO法人全国精神保健職親会(vfoster)経由でSPISを活用してされているユーザーがいます。
支援者が自分の中にある
余計なものを手放していく
金塚:今はどのような思いを持ってSPISに取り組んでおられますか?
宇田:障害者だけでなく、みんなが働きやすい職場にすることを目指し、活動を続けています。そのために大事なことは「職場の対話が変わること」だと思っています。どう変わればよいのか。それを一言で言えば、みんなが「自分の弱音を言えること」なんです。
金塚:そういった場を提供できる、外部支援者を育てていく必要もあります。
宇田:その通りです。SPIS研究所に所属している外部支援者だけでは、現在のユーザー数、35団体くらいが限界です。これからは就労移行支援機関のみなさんと一緒になって、新しい対話の場を作れる外部支援者を育てていく必要があると思っています。
金塚:具体的には?
宇田:今日の「支援力をみがくセミナー」もその試みのひとつです。今回のセミナーで言えば、今日の講座を皮切りに、これから9ヶ月間に渡って研修を続けることになります。テーマの“みがく”というのは、知識やテクニック、ハウツーをどんどん身につけていく、ということではありません。逆なんです。自分の中にある余計なものを手放す、削ぎ落す、これが“みがく”だと思っています。手間ひまをかけて、こうした研修をおこなう目的は、マニュアル化とは対極のところにあります。生身の人間が感じていることに気付けるようになるためには“みがくこと”が大事だと思っています。
金塚:さまざまなキャリアの支援者が受講しています。
宇田:1年目の方からベテランの方まで、自ら手を上げた10名の方が今、受講されています。このセミナーでは、支援者が「支援というものは、こうでなければならない」と思い込んでいる役割をいったん脱いでもらって、生身の人間としてやり取りすることを体験してもらいます。支援者が自分の中にある余計なものを落していく。一皮むける。実はそのことによって、その人の本当のすごさが出てくるんです。
金塚:過去にも「SPIS外部支援者養成研修」を開催しておられましたが、その時の内容とはまったく違うものになっていると感じます。
宇田:これまでの研修ではどうしても教材を使って「教える」という形になっていました。ところが今回の研修では「現場の中で、今、何が起きているのか」。そしてそこで「どんなやり取りをしているか」にフォーカスします。そのことによって「問題に気づくこと」を体験してもらいます。そういう意味で今回のセミナーは、修了した方たちが、現場ですぐに支援力を発揮できるような建付けになっています。
金塚:支援者の育成以外に課題はありますか?
宇田:企業にとっては、SPISを導入して新しい対話の場を作ることは、お金も手間もかかります。ですからこの価値をどう企業に理解してもらうかは、今も大きな課題だと思っています。
金塚:【JSN】でも利用者にSPISを使ってもらっていても、就職後に企業で継続して使ってもらう際に、ハードルの高さを感じることがあります。
宇田:そこですよね。利用する当事者にとっても「【JSN】の中では抵抗なく使えていたが、企業の担当者が入ると本音は言えない」という思いがあるでしょう。この問題にどうアプローチしていくか・・・これも、これからの大きな課題です。
当事者が自ら
セルフチェック項目を設定する
金塚:SPIS導入後の流れについて教えて下さい。
宇田:まず、企業の方にはSPISというシステムの動かし方を学んで頂きます。その後、利用する当事者の方を決め、セルフチェック項目を設定します。この時、どういう項目を作るかは大事なことなんですが、一番大事なことは、このやり取りの中で当事者が「こういう場だったら本音を話せるかもしれない」と思えることなんです。
金塚:この時、当事者と外部支援者は初対面ですよね?
宇田:はい。初対面の場で当事者の方を中心にセルフチェック項目を作っていくことになります。こちらが勝手に決めたり、一般的な項目の中から選んでもらう、というようなことはしません。「あなた仕様の項目を一緒に作っていきましょう」というスタンスで取り組むことになります。
金塚:これまでに印象的だった項目はありますか?
宇田:最近の例で言うと「妄想が出る」ことでつまずきやすい方がおられました。ですから、この人にとって「妄想」という項目はセルチェック項目に必要なんですが、妄想という言葉では気持ちが沈んでしまう・・・と言われました。「それじゃあ、セルフチェック項目ではこの言葉を別の言葉で置き換えてみましょうか。どんな言葉だったらいいですかね?」と訊ねたところ、「電気が流れたか?」という項目名をその場で出してくれました。
金塚:電気!
宇田:「おぉー」と思いましたね。言われてみれば、妄想は他人には見えないけれど、本人の中はビリビリとした感触で、しんどい思いをしているんです。見事な転換だなと思いました。このように、自分の言葉で考えた項目ができることは、ほんとにステキなことです。基本的に本人が提案した項目はすべて採用しますが、外部支援者との関係性の中で「一緒に作った」ことがとても大切なんです。
金塚:セルフチェック項目を設定する際、ほかに気に掛けていることはありますか?
宇田:セルフチェック項目は「こういうことが起きるとメンタルが落ちこむ」という観点でリストアップするため、どうしてもネガティブな項目が多くなるんです。ただ、あまりにも「ネガティブだらけ」という時は「ポジティブな項目も入れてみましょうか」と勧めることがあります。「今日一日、楽しいことがあったか?」みたいな項目で一日を締めくくると、「他のことが悪くても、楽しいこともあったな!」と思い出すことができるので。
金塚:その辺りも外部支援者の支援力が試されますよね。
宇田:その通りです。それができる支援者を育てていきたいと思っています。
「本音が言える対話」が
職場を変える
金塚:コメントでのやり取り以外にも、対面やオンラインで話す「リアルSPIS」の機会もあります。
宇田:月に一度、「話し言葉」でやり取りします。ここでは1ヶ月間のウェブ上での「書き言葉」のやり取りを振り返り、翌月のテーマを話し合います。
金塚:その場には企業担当者も同席し、三者でやり取りをすると。
宇田:はい。ただ、ここは色んな方法があって、当事者が会社にはまだ秘密にしておきたいことがある時などは、1時間の中で20分くらい、当事者と外部支援者の二者だけで話す時間を設けることがあります。また別のパターンでは、先に企業担当者と外部支援者だけで話す時間を20分ほど設け、企業担当者の視点や見解を踏まえて課題を整理することもあります。
金塚:「リアルSPIS」は基本的に1時間ですか?
宇田:その通りです。ただ最近はその1時間の枠組みとは別枠で、企業からは経営者やマネジメントを担う人が入り、SPIS研究所からはスーパーバイザーやアドバイザーの役割を担うスタッフが入り、やり取りするケースが増えています。
金塚:そこではどういうことが話し合われるのですか?
宇田:企業組織の制度やルール、規範や職場風土といったことを話し合います。制度やルールは“目に見えること”、規範や職場風土は“目に見えないこと”ですが、この両方を一緒にやり取りすることがとても大切だと思っています。
金塚:なるほど。
宇田:世間ではこうしたことを取り扱う外部の専門家を「コンサルタント」と呼んでいますが、一般的に言えば、学問的な理念や理論から導かれた知識・技術を企業にアドバイスしています。ところがSPIS研究所のスーパーバイザーやアドバイザーは“現場のやり取り”から入っていきます。SPISのやり取りの中に、その企業組織の制度やルール、規範や職場風土に関係する課題がにじみ出てくるからです。そういう意味で、わたしたちの支援は徹頭徹尾、現場からのボトムアップなのです。
金塚:障害者雇用がきっかけとなり、企業風土を変えるチャンスが訪れる。将来、その企業が障害者雇用だけでなくすべての人が働きやすい職場になったり、よりよい人材が集まってさらに利益を上げることができるようになる。私も常々、そこまで切り込んでいけるような支援をしたいと考えています。最後に、今後のSPISの可能性について聞かせて下さい。
宇田:一つはリワーク(復職)での活用であり、もう一つは人材育成の場での活用です。特に後者はこれからの大きな課題です。例えば新入社員の育成においては、入社後6ヶ月の間、上司と新人社員がSPISを通じてやり取りをします。するとその中で、新入社員の特性、持ち味、課題などが浮かび上がってくるのです。「ここがあなたのすごいところだね」「ここがあなたのテーマかも」「ちょっとここが心配」みたいなキャッチボールを気軽におこなうことで、そのやり取り自体がストレートに新入社員の成長につながっていきます。これがSPISを用いた人材育成の面白さだと思っています。
金塚:チームの対話が深まることで、新入社員が自分自身のテーマに気付く。
宇田:そうなんです。D&I(※注)と言われるように、多様化した職場では色んな価値観が混在するために、みんなが防衛的になり、チームがバラバラになるリスクが生じます。そうした中でSPISの「本音が言える対話」が職場を変えるのです。みんなで仕事を支え合い、気持ちを支え合う。そうすることでチームがまとまっていく。これが私たちの本当にやりたいことです。
※D&I
多様性(Diversity)と受容性(Inclusion)。性別、年齢、国籍、価値観など、人と人の間に存在する多様な違いを受け入れ、尊重し合い、社会や組織に組み込んで活かすこと。





