JSN金塚事務局長のわくわくワーク JSN金塚事務局長のわくわくワーク
2026年8月29日

失敗できるのは人間だけ

あるドラマのセリフ「完璧さは、ときに傷ついた人を息苦しくさせる」を聞いて、ある人との話を思い出した。

 

「前を向こう」「いつまでも落ち込んでいてはいけない」「失敗を糧にして、次へ進もう」

こんな言葉は、元気なときには「よし!」と思えるが、傷ついている人にとって、正論は苦しくなる。

生物として考えてみれば、失敗できるということ自体が、人間の大きな特権なのかもしれない。

野生の動物にとって、失敗はしばしば生死に直結する。狩りに失敗すれば食べられない。逃げることに失敗すれば食べられる。

そこには、「今日はうまくいかなかったな」と落ち込んで、何日もじっとしている余裕なんてない。

生きるか、死ぬか。

泣くことができる。
落ち込むことができる。
何もしたくない日を過ごすことができる。
過去を何度も思い返して、「あのとき、こうすればよかった」と後悔することもできる。

人間には「失敗したまま生きる時間」が許されているのだと思う。

だから、簡単に乗り越えなくていい。

傷ついたばかりなのに、無理に前向きにならなくていい。
失敗した直後に、その意味を見つけなくてもいい。
この経験があったから成長できたと、きれいな物語にまとめなくてもいい。

前を向くというのは、必ずしも立ち上がって走り出すことではない。
誰かに「おはよう」と言うこと。
ご飯を食べること。
眠ること。

それも全部、前を向くことなのだと思う。

前向きになるというのは、過去をなかったことにすることではない。

傷を抱えたまま、それでも少しずつ自分の人生に戻っていくこと。

それが、本当の意味で「前を向く」ということなのかもしれない。

 

2026年8月14日

食の移り変わり

甘いものがおいしい!

ケーキや和菓子を見ても「食べたい」と思わなかったが、気づけば「このプリン、もう一個食べたい」なんて思っているこの頃。年齢とともに好みが変わるのは気が付いていたけれど、まさかお菓子をバクバク食べるようになるとは!?

子どもの頃は、特別嫌いで食べられないものはなかった。でも、「おいしい!」と思えないものはあった。

代表格は肝(レバーなど)。あの独特の食感がどうにも苦手だった。口の中がくしゃくしゃするような、不思議な感覚があって、「これは大人の食べ物なんだろうな」と思っていた。

ピーマンもあまり好きではなかった。とはいえ、給食で食べ終わるまで居残りになるほどではない。クラスには苦手なものが食べられず、お昼休みになっても一人だけ給食とにらめっこをしている友達もいたけれど、私は「好きじゃないけど食べる」というタイプだった。

ところが今では、お酒のアテと呼ばれるものが大好物だ。肝はもちろん、珍味も大歓迎。子どもの頃の自分が見たら、「本当に同じ人?」と驚くんじゃないだろか。

野菜も大好きになった。道の駅へ行けば、新鮮な野菜売り場をうろうろする時間が楽しい。スーパーでは見かけない珍しい野菜を見つけると、つい買ってしまう。「これ、どうやって食べるんだろう」と考える時間まで含めて楽しんでいる。

そして最近は甘いものまで仲間入りした。

昔は「食後のデザートなんかなくてもいいかな」だったのに、今では食後に甘いものがあると、なんだかうれしい気がする(笑)

味覚は年齢とともに変わるとはよく言うけれど、本当にその通り。子どもの頃には理解できなかったおいしさが、大人になると自然とわかるようになる。不思議なもので、昔は苦手だったものほど、今では「これがおいしいんだよね」と人に勧めたくなる。

これから先、また何か新しい「好き」が増えるだろうか。

 

2026年8月6日

お風呂の中だけ?

「いち、にい、さ~んし、ご~ろく、しち、はち、きゅう~じゅ」

私が育った大阪のある地域では、独特なイントネーションで数字を数える文化がある。文字にすると伝わりにくいが、抑揚のつけ方が何とも特徴的で、大阪人なら誰もが耳にしことがあるんではないか?

先日、温泉にゆっくり浸かっていた時のこと。湯気に包まれながらぼんやりしていると、子どもの頃の記憶がふとよみがえってきた。

「まだ上がったらあかん。十まで数えてからやで。」

母親にそう言われ、肩まで湯船に浸かりながら、「いち、にい、さ~んし、ご~ろく、しち、はち、きゅう~じゅ」と、あの独特のリズムで数えていたことを思い出した。子どもの頃は、それが特別な数え方だとは思いもしなかった。

大人になって、さまざまな地域の人と接するようになって初めて、「そんな数え方は初めて聞いた」と驚かれ、自分たちの数え方が地域ならではの文化だったことに気がづいた。

数字の数え方だけではなく、地域独自の言い回しや季節ごとの風習、お祭りや遊び、家庭ごとの習慣など、その土地ならではの文化は数え切れないほどあるのだろう。それらは長い年月をかけて受け継がれてきたのだろう。

しかし、テレビやインターネット、SNSの普及によって言葉や文化が全国的に標準化されつつあり、便利になった反面、地域ならではの個性が少しずつ薄れていくようで、どこか寂しさを感じることもある。

時代の流れだから仕方がないのかもしれないが、子どもの頃に何気なく耳にしていた方言や独特の数え方を思い出すと、「ああ、あれも故郷の文化だったんだな」と、懐かしい気持ちになる。

しかし、この数え方ってお風呂の中だけでしか聞いたことないなあ。と思いながら、久しぶりに、心の中で“じゅ”まで数えてお風呂から上がった。