JSN金塚事務局長のわくわくワーク JSN金塚事務局長のわくわくワーク
2025年7月3日

働く選択

誰かに聞いたのか、何かで読んだのかは思い出せないが、仕事を続けるためには「お金」「仕事内容」「人間関係」のいずれか一つでも満足していれば良い、という話を聞いたことがある。この言葉には、働く上での本質が詰まっているように思う。すべてに満足するのは理想だが、現実にはなかなか難しい。だからこそ自分にとって一番大切にしたいものを明確にすることが、長く働き続ける鍵になるのでは。

現代では「働き方の多様性」が広く認知され、フルタイム勤務、フリーランス、リモートワーク、副業など、さまざまなスタイルが受け入れられるようになってきた。そんな時代だからこそ、「自分は何を大切にして働きたいのか」という価値観を見つめ直すことがより一層重要になってきているように思う。

しかし、何か一つの価値観や条件に固執してしまうと、周囲が見えなくなったり、選択肢を狭めてしまったりすることがある。たとえば「収入」に囚われ過ぎると、本来自分がやりたかったことや人との関わりの大切さを忘れてしまうかもしれない。逆に「人間関係」だけを重視しすぎると、自分のキャリアやスキルアップの機会を見逃すこともあるかも。

だからこそ、自分の価値観を柔軟に見直しながら、バランスよく働くことが大切だと思う。人生のステージや環境に応じて、何に重きを置くのかは変わっていくもの。その都度、自分の心の声に耳を傾けてみることが、後悔のない働き方につながるのだと思う。

私はこれまで、自分の進む道を選ぶ上で、常に「仕事内容」そのものを最も重視してきた。それは、給与や人間関係といった一般的な判断基準とは異なり、「自分が本当に価値を感じる仕事」「やりがいを感じられる環境」であるかどうかが、何より大切だと考えてきた。

これまでの職歴を振り返ると、児童養護施設から始まり、特別養護老人ホーム、知的障害者通所授産施設、障害者就業生活支援センター、さらには事務局、通勤寮、そしてJSNと、実に多様な施設で勤務してきた。それに伴い、所属する法人も外郭団体から社会福祉法人、さらにはNPO法人へと変化してきた。

一見すると頻繁な転職のように見えるかもしれないですが、私にとっては一貫した判断基準があった。目の前にある仕事が、自分にとって「やりがいがあるか?おもしろいか?」であるかどうかが大きかった。

今、これまでの選択は決して間違っていなかったと考えている。そしてどの仕事にも、その時々でしか味わえない学びと成長があったし、多くの人との出会いが私の物語を豊かにしてくれた。これからも、「仕事内容」という自分の軸を大事にしながら、残りの就労人生を楽しみたいと考えている。

 

2025年6月24日

職業リハビリテーション学会

第52回日本職業リハビリテーション学会 兵庫大会
2025年8月22日(金)〜23日(土)
神戸市産業振興センター(JR「神戸」駅徒歩5分)

https://www.k-gakkai.jp/shokuriha52/common/pdf/overview.pdf

このたび、職業リハビリテーション学会の基調シンポジウムに参加することとなりました。今回のテーマは「これからを切り拓くために~就労支援の歴史と知識の活用~」です。

このテーマに基づき、現場の第一線で長年にわたり実践を積まれてきた3名の専門家をお招きしています。登壇者は、兵庫県での実践を通して地域に根ざした支援を続けてこられた高井敏子氏(社会福祉法人加古川はぐるま福祉会)、福島県での復興と支援の歩みを深く知る鈴木康弘氏(社会福祉法人ほっと福祉記念会)、そしてジョブコーチ(JC)の制度とその歴史に精通されている小川浩氏(大妻女子大学)です。

進行は、NPO法人日本学び協会ワンモア八尾の金川善衛氏と私の2名で担当させてもらいます。

本シンポジウムでは、長い年月をかけて培われてきた就労支援の知識と実践を振り返りつつ、それらを現代の支援現場にどのように応用し、新たな可能性を切り拓くかについて、参加者の皆さまと共に深く考える場にしたいと考えています。過去の経験から学び、未来の支援へとつなげるヒントを、この場から見つけていただければ幸いです。

多くの方にご参加いただければと思います。

2025年6月19日

児童養護施設

ある勉強会で児童養護施設の話題が出たとき、20代前半の自分を思い出した。あの頃、住み込みで児童養護施設の先生(その当時、先生と呼んでいた)として働いており、日々子どもたちと向き合っていた(ただただ遊んでたかな)。

現在の児童養護施設に入所している子どもたちの事情や、施設を取り巻く環境については詳しくないが、当時、私が接していた子どもたちは、経済的な困窮から親が育児を続けられなくなったり、突然親が失踪してしまったりと、厳しい家庭環境の中でやむなく施設に入所してくるケースが多かったように記憶している。

施設は「大舎制」と呼ばれる形態で、5~6人の子どもたちが1つの部屋で生活していた。私が担当していたのは中高生の男子グループで、思春期ならではの揺れ動く感情にどのように接するか悩んでいた。彼らと私とは、わずか数歳しか年が離れていなかったため、私にとっても「大人」として毅然とした態度を保つことは簡単なことではなかった。ときには感情を爆発させて怒りをぶつけてくる子もいれば、逆に心を閉ざして全く話そうとしない子もおり、その対応に頭を悩ませたことも多々あった。

それでも、子どもたちと過ごした時間にはかけがえのない思い出もたくさん。夏の旅行で肝試しをしたり、運動会に参加したり、泊りの日に宿直室で夢を語ってくれる子供たちの話を聞くのはとても楽しかった。小さな笑顔や、真剣な顔で相談してくれる姿が私を支えてくれていたように思う。

あの時代はまだ社会全体に「施設育ち」への偏見も根強く、子どもたちは進学や就職に不安を抱えることも少なくなかった。支援体制も今ほど整っておらず、「施設を出た後の人生」は、彼らにはとても大きな挑戦だった。

今になって振り返ると、自分の未熟さを痛感すると同時に、あの時一緒に過ごした子どもたちが、どんな大人になっているのか・・・元気でいて欲しい!

2025年6月14日

ルール

元旦の朝といえば。目が覚めたらまずお風呂へ直行!そのあと新しい下着に着替える。これが私の実家でのお正月ルールだった。眠くて目をこすりながら「なんで朝からお風呂入らなあかんの」と思ってた子ども時代。そんなお正月ならではのルールが今となってはちょっと懐かしい思い出。

今はさすがにその習慣は続けてないけど、「うちの家ではこうしてた」って話を聞くと、どの家庭にもそれぞれのルールがあって比べてみると意外と面白いですよね。

学生時代、私はバレーボール部のキャプテンをしていて、そこで自分なりの“ルール”を作っていた「試合中は誰よりも元気いっぱいコート中、声を出して走り回る」そして「誰かがミスした時は必ず一言声をかける」特にチームがピンチの時こそ「私の出番」だとばかりに全力でみんなを励ましていたことを覚えている。そんな小さなルールでも自分らしさが出るし、チームの雰囲気も変わると思っている。だからこそルールって自分だけのものではなくみんなのものだと思う。

JSNにも就業規則をはじめいろいろなルールがある。「ルールを作ること」がゴールじゃないですよね!もちろん「ルールを守ること」だけで満足しちゃダメ!ルールって組織がスムーズに動くための進むべきレールみたいなもの。みんながそのレールの上を走ればチームワークばっちりになるはず。

さらに、ルールは成長のチャンスでもあると考える。ルールを通して「なるほど、こうすればいいんだ!」って気づいたり、「もっとこうしたら良くなるかも!」って考えたりすることで、スタッフみんながステップアップできる。

そこで大事なのが管理職のルールへの向き合い方。上に立つ人がルールの本質を理解して、ルールとスタッフとしっかりと向き合えるかが肝になってくる。周りの人たちも「よし、私もやってみよう!」って前向きな気持ちになるように。だから、ルールは縛るものじゃなくて、みんなで気持ちよく働くための工夫って思って、一緒にうまく使いこなしていきましょう!!

2025年6月9日

ベースキャンプ地

ドラマを見ていて「ベースキャンプ」という言葉が頭に残りました。以前にもベースキャンプ地について記載したように思うのですが・・・

登山や探検などのアウトドア活動において「ベースキャンプ地」は、目的地に向かうための準備を整えたり、ひと息ついて体力を回復させたりする、まさに活動の「拠点」となる重要な場所です。そこでは仲間と作戦を練り、必要な装備を点検し、時には天候が回復するのをじっと待つのがベースキャンプ地だと記載されています。

私たちJSNの各事業所も、まさにその「ベースキャンプ地」でありたいと考えています。

誰もが安心して「思い切ってチャレンジ」できる場所。たとえ失敗しても大丈夫、「それも経験だよ」と笑い合える場所。迷った時には自分の本音を打ち明けられる、そんな心のよりどころでありたいと思います。

また、企業実習や日々の活動を通して得られる知識や技術、それの経験は登山のように一歩一歩、確実に積み重なっていきます。その積み重ねがやがて自分自身の力となり、自信となり、次なる挑戦への原動力となるはずです。

JSNというベースキャンプ地で利用者もスタッフも多くの人が自分の可能性を信じ、一歩ずつ歩みを進めていける。そんな場所であり続けたいと願っています。

さて、私にとってのベースキャンプ地は?実家であり、自宅がその一つですが、自宅は時々やすらぐ場所ではない時があります()

 

2025年6月2日

JSN広報誌「熱人」

JSN理事長の一心歩走」「突撃!事務局長金塚」「わが街の熱い応援団」、そして「これらは、JSNの機関誌『熱人(ねっと』の人気?・定番コーナーです!

「ねっと」という誌名には、ネットワークあついひと(熱人)という、JSNが大切にしている二つのキーワードが込められています。名付け親は、地域・企業支援事業部の松田部長です。

「お昼休みにサクッと読めて、手に取りやすい広報誌を作ろう!」という、当時の保坂事務局長の提案からスタート。法人設立と同時に創刊し、春・夏・秋・冬の年4回のペースで発行してきました。近年ではSNSでの情報発信も強化し、現在は年3回の発行ペースですが先日、59号を突破!特別号も数冊出しておりJSNの歴史と支援のノウハウがぎっしり詰まった宝物のような存在だと私は思っています。

また、『熱人』を通じてJSNに関わる多くの方々から届くメッセージは、私たちが忘れかけていた原点を思い出させてくれることもあります。数年前に0号からすべてのバックナンバーを読み返す中で「あぁ、これが私たちの目指す道だったな」と頭の中がすっきり整理された経験があります。

「いつも読んでます!」そんな声もたくさんいただいていて、『熱人』はまさにみなさんに支えられている広報誌です。だからこそスタッフ全員がしっかり読込んで私たち自身の在り方を確認しつつ、JSNを自分たちの言葉で語れるようになってもらいたい。地域の人達、JSNスタッフの心の支えになれるような「熱人」を今後も届けていきたいと思います。

JSNホームページ内の“広報”から「熱人」の一部をお読みいただけます。

次号もどうぞお楽しみに!

2025年5月27日

昔の写真

先日、実家に帰った時のこと。
30年くらい前に連れと2人でハワイに行った時の写真が出てきた。
若いな〜自分たち!
さすがに恥ずかしくてここには載せないけど、連れに写メ送ったらもちろん覚えていた。

高所恐怖症だから飛行機の中で不安を紛らわせようと飲みすぎて、テンションが上がりすぎて税関でめっちゃ笑われたのとか。夜中にホテルの火災報知器が鳴って、びっくりして飛び起きて避難したのとか。ビール買おうとしたら年齢確認されパスポート見せるハメになったの(当時2829歳だったはず)とか。初めての海外でチップを渡すのにドキドキしていたこととかいろいろ思い出して懐しくなった。

写真一枚見ただけで、何十年も前のことが一気によみがえった。でもそれって、自分の都合のいいように思い出をちょっと美化しているのかもしれない。ハワイ旅行に一緒に行った連れと飲んだ時のこと。高校時代の思い出話で盛り上がったけど、お互いの記憶が食い違っていて、相手が覚えてることにこっちは全然記憶にない。「え、そんなことあったっけ?」って、びっくりの連続だった。

未来に進んでいく中で、日々の忙しさや新しい出来事の積み重ねによって、過去の記憶が少しずつ薄れていく。そんな中で自分自身の歩んできた道のりや、懐かしい時間を思い出すためにも、昔の写真を見返すひとときは非常に貴重な時間だと感じた。

写真にはその瞬間の空気や感情、人とのつながりが写し出されていて、それらを見ることで当時の記憶が自然と蘇ってくる。単なるノスタルジーではなく記憶の中の大切な人々や出来事を忘れずにいるために、写真を通じて過去と向き合い、現在を感じる時間を大切にしていきたいとなあと昔の写真を見ながら考えた。

 

2025年5月22日

初診難民

先日のJSN理事会で「初診難民」という言葉を知った。

医療機関での初診「(最初の診察)を希望するが、診察してもらえない人が多くいるらしい。特に精神科領域で顕著のようで、いくつもの医療機関で診察を断られた。初診を受け付けてもらったが診察までに数か月かかるケースもあるようだ。

地域によっては精神科医が少ないという現状もあるのだろうし、制度的な問題も関係しているよう。ここでもコロナの影響があるようで受け入れ制限や診療制限を設けた医療機関も多くあり、初診の予約枠が減ったようである。また、遠隔診療が進む一方で「初診は対面のみ」というルールが壁になっていることもあるらしい。JSNの理事である精神科医は月に数十人の新患を診ているそうだ。その時に「転院難民」という現状もある事も知った。

厚労省「精神保健医療福祉の今後の施策推進に関する検討会」第6回で公表された「精神科診療所の機能に関する調査」(速報値)において予約外初診について触れられている。

精神科診療所において「精神保健福祉士」の配置割合は31,3%(常勤)しかない。看護師53%(常勤)、公認心理師28,1%(常勤)となっている。

この調査をされた「国立精神・神経医療研究センター」の藤井先生によると、コメディカルスタッフ数が多いほど、予約外初診を受ける傾向が高い。また、医師の数は予約外初診の受け入れにあまり影響しないとしている。

この調査には診療業務以外の地域貢献についての具体的な報告もあるが、その幅の広さには驚かされる。JSNの理事であり精神科診療所の医師達も地域においていろんな役割を担っており、地域で障害のある人達を包括的に支える仕組みの大きな一コマになっているのであろう。

2025年5月16日

特定非営利活動法人 クロスジョブ

就労支援の仲間である濱田さんが代表理事を務める「クロスジョブ」は、障害者の就労支援・定着支援を行う事業所です。

このたびクロスジョブは設立15周年記念イベントとしてCHANCE & CHALLENGE ~障害があっても社会の中で活躍し働き続ける喜びを!!~」を、6月に開催することになりました。

https://crossjob-event.sub.jp/

クロスジョブと私たちJSNは、事業形態や就労支援に対する考え方に親和性があり、また濱田さんがこのイベントに強い決意を持って取り組まれていることから、今回協賛させていただいております。

濱田さんとは20数年前に知り合い、現在では支援仲間数人と年に一度、旅行に行く間柄です。いつもおしゃれで笑顔あふれるパイセンとして、私たちに刺激を与えてくれています。また以前、濱田さんには『働く広場』の「編集委員が行く」のコーナーで、クロスジョブ札幌を取材させていただいたこともありました。

https://www.jeed.go.jp/disability/data/works/book/hiroba_202411/index.html#page=33

是非、多くの方にご参加いただければと思います!!もちろん私も参加します!!

2025年5月12日

ダンサーももちゃん

JSN東京のダンスプログラムを担当してくれている金髪ダンサーのももちゃん。
ある縁がきっかけで、彼女の人柄とダンスに対する思いに惹かれて、運動プログラムの一環としてダンス指導をお願いすることになった。

ももちゃんは幼い頃からダンスに親しみ、才能をぐんぐんと伸ばしてきたようで、小学生の頃から本格的なレッスンを受け、成長する中で数々のステージを経験。弱冠の年齢にもかかわらず、プロのバックダンサーとして舞台に立った実績を持っているようです。スタイルの維持もさることながら髪の長さまで指示が入る演出の世界にはびっくり。

現在はテンポラリーダンスを中心に、子どもから大人まで幅広い世代に指導を行っているようです。レッスンでは、基本的なステップからリズム感の養成、さらには表現力を引き出す指導まで、きめ細やかにサポート。利用者一人ひとりの個性を大切にしながら、誰もが「踊る楽しさ」を実感できるようなレッスンを心がけてくれています。

彼女のレッスンには、いつも明るい笑顔とエネルギーが満ちており、初めてダンスに触れる方でも自然と体を動かしたくなる、そんな温かい空気に包まれています。
ももちゃんの存在は、JSN東京の運動プログラムに新たな風を吹き込んでくれており、これからもますます多くの方にダンスの魅力を届けてくれることを願っています。

これからも、ももちゃんと共に楽しく、心と身体が元気になるプログラムを作り上げていけたらいいなぁ考えています。
ぜひ、彼女のレッスンで新たな自分を発見してみてください!