JSN金塚統括所長のわくわくワーク
2023年7月27日

休暇

鳥のさえずりで目を覚まして、爽やかな風に吹かれて散歩。温泉に入りゆっくりと朝食。時間を気にすることなく支度をして買い物に出かける。お蕎麦で昼食を終えて、早めにホテルに戻り温泉で汗をながす。お気に入りのお店でヒグラシの鳴き声を聞きながら夕食。ホテルの中庭で星を眺めて軽く一杯が実現したらなぁと、住みたい県の一つの長野県でリフレ休暇。

海なし県だが自然豊かで野菜と果物が抜群に美味しい!

梅雨の時期は北海道。夏は長野。冬は沖縄で住み、働いてその土地を楽しむ生活をしたいと夢みたいな事を考えてた時期もあったが、リモートワークが当たり前になりつつ中で、ワーケーションを実行している人人も多いのでは。

出来るだけ予定を立てず、その時の気分や天候にあわせて、楽しく時間を過ごせるリフレにしたいと思っているがいかんせん貧乏性なんで。。。

なんやったら朝から飲んだくれたいんやけどなぁ。

2023年7月24日

じょうぶな頭にかしこい体

JSNがスタートした時はスタッフみんなで「何の為に」を考えて、それをやる意味を教えてもらいながらいろんな事を進めてきた。しかし・・・とある人に話しをしていたら。

言われたことの意味をたしかめ、決められたことの内容を考え、必要があれば問題をとき、自分のために楽しい仕事をさがし出し、やるときはやるし、さぼりたいときはすぐさぼる。「じょうぶな頭とかしこい体」の著者 五味太郎さんの本を紹介してくれて。

子供の悩み、疑問、希望などのテーマについて書かれている。「制服はどうして着なくてはいけないの」「車が来なければ赤信号だってわたってもいいんだよね」「ずっと働かないで暮らしていきたい」などのテーマに対して五味さんの回答が面白い。

先生や親の言うことは素直に聞いて、決められたことはきちんと守り、出された問題にはうまく答え、与えられた仕事はだまってやる。決してさぼったり、ごまかしたりはしない。先生や親からすると良い子ではあるけれど、このまま大人になるとどうなるんだろう。

あとがきに「自分でやるしかありません。あたりまえすぎる言い方ですが、自分で自分の気の毒を解決してゆくしかないのです。それは大人も子どもも同じです。自分で考え、自分で悩み、自分でしかり、自分をはげまし、そして自分を可愛いがってゆくしかないのです。そのために、けっこうきつい問題でもなんとかこなせる(じょうぶな頭)と、好きは好き、嫌いは嫌いとはっきりわかる(かしこい体)が必要なんだろうと思います」とありました。

次の読書は水島広子さん。

2023年7月18日

懐かしい場所

仕事の打ち合わせで千里中央へ。20代前半、箕面で住み働いていた頃によく利用した千里中央。先輩に連れられて飲みに行き仕事の話しをよく聞いた。

特別養護老人ホームで指導員をしていた。20代そこそこの若者が何を指導するのか?でもその当時は指導員と呼ばれていた。

朝の始まりは居室の一人ひとりに「おはようございます」と挨拶をするのがスタート。リハビリで理学療法士の補助をしたり、歌声クラブで全く知らない歌を一緒に歌ったり。看護師と一緒に通院同行したり。秋には箕面の滝まで紅葉狩りに行く段取りをしたり。

「孫みたいなもんや」といっておじいちゃん、おばあちゃんに可愛がってもらった。寝たきりの方や認知症の方も多く入居されており、中には100歳のおばあちゃんも元気に生活していた。その方達の対応について先輩スタッフからいろいろと教えてもらった事が今でも記憶に残っている。

みんなに可愛がってもらった若かりし頃の思い出が詰まった箕面、千里中央は楽しい思い出ばかりではかなったけど懐かしい土地である。しかしよく利用したお店はなくなっていた。

2023年7月10日

おじいちゃんの足

「おじいちゃんの足やなぁ」家で息子と飲んでた時に言われた。

「衰えは足からくるで」PTの息子からのアドバイス。

いろんなスポーツをやってきた。子供時代は野球、ソフトボールに夢中で、学生時代はバレーボールが楽しくて学校へ行ってたような。

スイミングの指導員のバイトなんかもやっていた。

身体を動かす事が好きで、働きだしてからもソフトボールやバドミントン、テニスなどで市民大会なんかにも出たりした。

それがいつの間にか仕事中心の生活になりスポーツからは遠のき、身体を動かす事がメッキリ少なくなった。

ウォーキングは意識してやっていたが、息子の一言でストレッチや筋トレをやり始めた。

筋トレをがんばり過ぎると翌日、筋肉痛で階段の段差に一苦労するが、なんとか続けたい。足の筋力アップもそうだが、腹回りをスッキリさせないと。

2023年7月3日

16年前

16年前、京阪本線 古川橋駅近くでJSN門真が6月に開所した。

開所するまでに法人格取得を始め、不動産探しやスタッフ採用、事業者指定など前法人を辞めてからバタバタとしていたが、思い切り就労支援ができる環境に感謝していたし、むちゃくちゃ嬉しかった事は今でも忘れない。

スタッフ8名の中で精神障害者の就労支援経験者はほぼいない状況ではあったが、オープンが2ヶ月遅れの6月になった事で、いろんな場面でコミュケーションが取れた。そしてみんなでよく飲んだ。

岡山県での合宿は日替わりで理事の先生が牛窓まで来ていただき、研修をしてもらったのは懐かしい思い出であるが、内容があまりにも専門すぎて居眠りしてたスタッフもいてたような。。。

その当時の精神障害者の就労状況と言えば、障害をオープンにして就職する事が一般的ではなく、障害をクローズにして働き、調子を崩して辞めるを繰り返していた人が多くいた。

多くの医師が働く事に対して積極的ではなく、支援者も精神障害者に対する就労支援経験がない。企業も精神障害者へのマイナスイメージが強い中ではあったが、事業開始1年以上前から先生達が定期的に議論して、田川先生を初代理事長としてJSNが立ち上った。そしてそこに協力いただいた人達が今ればこそ現在がある。

先日、JSNのfacebookに「機関誌創刊0号」の記事がアップされてるのを見て、当時を思い出した。

2023年度は16年間の実績を見直し、新たなる目標に向けて再スタートである。