JSN金塚事務局長のわくわくワーク JSN金塚事務局長のわくわくワーク
2025年8月31日

病と疾患の違い

ドラマ「19番目のカルテ」の中で、主人公のドクターが「病と疾患の違いがわかっていない」と口にする場面がある。最初は部下のドクターもその意味をすぐに理解できない。しかし、患者の話をじっくりと聴く中で、その言葉が少しずつ腑に落ちていく。
ここで示される「疾患」と「病」の違い。疾患とは、医学的に診断される病気そのものを指している。一方で「病」とは、疾患がもたらす生活のしづらさや苦しみ、さらには社会の中で生きるうえで直面する困難を意味している。つまり、同じ疾患を抱えていても、生活環境や人間関係によって「病」の形は大きく変わってくる。

これは私たちの就労支援にもそのまま当てはまる。統合失調症を発症した人が、精神疾患そのものだけでなく、社会の中で受ける差別や偏見によって「働きたくても働けない」という現実に直面することがある。結果として経済的に困窮し、生活が不安定になり、時には基本的人権すら守られない状況に追い込まれてしまう。

私たちが担う就労支援は、単に「仕事を斡旋するサービス」ではない。働くことは人の生活の一部であり、同時に人生に深く関わる営みである。そのため、疾患だけを見て支援していても、本当の意味での解決にはつながらない。その人が抱える生活全体の課題や想いを理解し、「まるっと」その人の人生を支える視点を持つことが欠かせない。

就労支援とは、疾患に縛られた「病」を少しでも軽くし、その人が社会の一員として自分らしく生きられるように伴走する営みなのだといえる。

 

2025年8月22日

相手から学ぶ(金塚さんがこうやれって言ったんやろ)

精神障害のある方の就労支援を始めて間もない頃の出来事。ちょうど、いくつかの支援がうまくいき“いける”という手応えが出てきた直後だった。自分でもはりきっていてやり方を工夫して先へ進めていた。そんな時にある男性当事者が私に向かって強い口調でこう言った。

「金塚さんがこうやれって言ったんやろう!」

その声を聞いた瞬間、顔に血が上っていくのがわかった。頭の中で言葉がぐるぐる回り、反論したい気持ちと裏腹に言葉が出てこなかった。

振り返れば、失敗の芽はすでにあった。連続した成功に気持ちが引っ張られ、本人の意向や不安を十分に確認しないまま計画を前へ進めてしまった。面談で受け取った表現を「こういう意味だろう」と早合点し、企業実習の現場で必要なフォローや配慮を詰め切れていなかった。その結果、実習先で小さな摩擦が積み重なり、本人のストレスは一気に噴き出してしまった。「あなたのやり方が悪かった」という怒りと失望をぶつけられた瞬間は忘れられない。

あのとき受けた言葉は痛かった。自分の未熟さを突きつけられたようで。けれど同時に、「何が足りなかったのか」を冷静に見るきっかけにもなった。表面的な手順や成功体験に頼るのではなく、本人の声をひとつひとつ確認すること、支援計画は常に本人の意思を軸に据えることの大切さをノウハウ本ではなく身をもって学んだ。

この経験で得たのは、テクニックだけではない。支援は人と人との信頼関係であり、相手の声を確実に受け止める謙虚さが不可欠だということ。あの短い一言「金塚さんがこうやれって言ったんやろう」は、私にとって戒めであり支援の再出発点でもあった。

2025年8月17日

人見知り

「距離感がおかしいって言われることがある」と言うと、だいたいの人は「え、そんなことないよ〜」とフォローしてくれる。でも内心、「……ちょっと思ってたけど」って顔してるのがわかるんですよね。

「人見知りスイッチ」ONになると、人に対して壁を作る事があるんです。その壁はエベレスト級。話しかけられても「え? それ私に言ってます?」ってくらいの反応をしたり、その場所を急に離れたり。なので最初は愛想ゼロ。むしろマイナス。時にスタッフに迷惑をかけたりします。

ところがその人に「興味スイッチ」が入ると一変。こっちから急に距離を詰めに行きます。高い壁が急激に崩れます。「昨日まで無表情だった人が、今日、急に飲みに誘ってくるなんてどういうこと!?」って思われても仕方ない。

このギャップ、きっと私の中では自然なんです。でも、周りからすると「え、さっきまで氷の女王だったのに、急に猫なで声?」みたいな戸惑いがあるらしく、「距離感おかしいですよね」って言われること数回。これは私なりの「好き」の表現なんです。不器用なだけで悪気はないんですたぶん。

仕事の時は出来るだけ「人見知りスイッチ」はOFFにしているつもりですが・・・

2025年8月11日

相手から学ぶ(支援はプレゼント・タイミング)

支援とは単なる「おせっかい」ではない。それは相手の状況や気持ちに寄り添い、そっと差し出す「プレゼント」のようなもの。そしてその価値を決めるのは「タイミング」であると思う。

就職した当事者と話していた時のこと。彼がこんなことを言っていた。

「支援者の言ってることは頭ではわかるんです。でも、タイミングってもんがあるじゃないですか。正論でもこっちが受け取れる状態じゃなかったら意味ないんですよ」

まさに!私は聞き返した。

「そのタイミングって、どうやったら分かるんやろ?」

すると、彼は私を見て一言。

「僕らのこと、ちゃんと見てたら分かるでしょ!!」

私より彼のほうが、よっぽど支援者なのでは?って思った。

彼の話を聞いて2つの事を思い出した。一つはJSNに通所していた気分障害の男性が、調子よく通所していると思ってたら突然、休むって事がありました。その報告に対して初代理事長の田川先生から「その人の事をしっかりと見ていたら、なにか兆候があったはずだ」と。

もう一つは、昔、好きな女性の気を引こうと、彼女の趣味や好きなタイプを友人から聞き、デートのときに「かわいい」と言っていた小物をプレゼントしたあのときのこと。タイミングがバッチリ合って大成功!……その後どうなったかは聞かないでください。

支援もまさに同じです。どれだけ素晴らしい内容でも、「いま」必要とされていなければ、ただの独り言に終わってしまうかもしれません。だからこそ、相手の変化や心の声に敏感であること。それこそが、真の支援者の条件のひとつではないでしょうか。

2025年8月2日

若手だったはずのような

会議や研修などで人が集まると、ふと気づく。「あれ?この中で一番年上って、もしかして私?」と、そんな現象が時々、いや、最近はもはやほぼ毎回起きるようになった。

ついこないだまでは「若手やな」とか、「まだまだわかいな」と言われていたような気がする。記憶は美化されがちなんで()
なのに今では、何かというと「最近の若い人は〜」やら「Z世代って」と語り出す自分がいる。
どうやら、自分がかつて分析される側から分析する側に回ったことに気づかず、いつの間にか世代交代していたらしい。

思い返せば自分が仕事を始めた頃は、まっすぐで青くて、時に突っ走って、先輩の忠告は聞こえたふりをしていた。
でもそんな自分を偉大なる先輩たちは見捨てず、根気よく、時には飲みに連れて行ってくれて育ててくれた。ありがたや、ありがたや。

さて、問題はここから。
果たして私は今の若手から見て「頼れる先輩」「あの人についていきたい」「ちょっとクセ強いけど、まあ嫌いじゃない」あたりのポジションをゲットできているのだろうか?

それとも
「あの人と話すのはかなわんなあ」とそんな警戒レベルの先輩になっていたりするのか。

いやいや、目指すはあこがれの事務局長。でもその前に、まずは飲みに連れってくれる事務局長“あたりから始めよう。

年齢はただの数字。どうせなら年上であることを面白がりながら、今日もZ世代とやらと、うまくやっていきましょうか!!